愛着障害、アダルトチルドレンのある人がどうやって
六つの感を満たして自己肯定感を育んでいくのか。
どうやって背伸びのしない生き方をして、
社会に対して「イエス」と言えるのか。
どうやって自分らしく生きて
目標や取り組むべき課題から逃げずにいられるのか。
引用画像 https://halmek.co.jp/beauty/c/healthr/5922
これらをバランスよく満たすと、それぞれが相互に影響しあって
人生がより充実したものになる。
それは生きる事の上昇スパイラルになる。
逆にこれらの一個でもマイナスに働くと相互に影響しあって
人生の全体が負のスパイラルに陥ることになる。
割と厳しく、密接に連携しあっている。
絶対不可侵な関係性のイメージ↓
以下、引用。https://president.jp/articles/-/58248?page=1
「自己肯定感を高めるためにも、成功体験を積もう」という考えは、現代社会に浸透している。しかしスポーツドクターの辻秀一さんは「その考えこそが自己肯定感の呪縛であり、それによって幸せどころか、むしろ苦しさを感じている人が少なくない。このままだと、日本人の心が危ない」という――。
対立構造を生み出す「肯定至上主義」
自己肯定感の妄想が激しくなれば、ハラスメントやいじめ、誹謗ひぼう中傷やヘイト主義さえも生み出していくのではないかと私は恐れています。つまり、自己を肯定していこうという考えは、他者への否定によって満たされるというリスクがあるからです。
上司がパワハラするのも、上司が自己肯定感を維持あるいは高めるために、地位への肯定感がそうさせるのだと言えるでしょう。「偉い、偉くない」とか、「地位が高い、高くない」は、自己肯定感の考えにとっては大事な情報になります。
一方、自己存在感という概念であれば、上司も部下も、社会的地位もまったく関係のない発想が生まれます。
強者と弱者、メジャーとマイナー、正義と不義などの対立構造を、肯定至上主義が生み出しているのではないでしょうか?
成功体験の呪縛が広める「自己否定感」
自己肯定感とセットのように広がっているのが、「成功体験」という言葉です。
成功体験が少ないから自己肯定感が高まらないという意図でも使われます。つまり、自己肯定感の必要十分条件として成功があるということです。まさに認知的な発想です。
成功とは結果の1つであり、外にある誰かが評価してできあがった1つの概念に過ぎません。それなのに、成功、成功と成功に呪縛されています。そのため成功にしがみつくことで、苦しくなっているケースがよく見られます。
成功を強調するがあまりに、失敗への恐れが生じ、それによって自己肯定感どころか自己否定感が広がっているのです。
成功は、自身でコントロールすることはできないし、勝手に誰かが定めた定義に基づいたものに過ぎません。私たちが幸せな人生を歩むためには、成功体験よりも自分の存在そのものを土台にする考え方が必要です。それこそが自己存在感を育むからです。
今、皆が呪縛されている「自己肯定感至上主義」から脱却しましょう。自己肯定感という社会のハラスメントから解放されましょう。
外界、結果、他人などに依存する認知脳とは別の発想で、「自己肯定感」を見つけ、持つことが、これからのVUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)の時代において、自らが強くしなやかに生き抜くための大事なスキルの1つになります。
外界が不安定であればあるほど、外界に依存したり、結果に頼ったり、他者と比較したり、他の情報に振り回されている人は、自己肯定感を高めにくくなります。なぜなら、不安定なだけに、スピード感を持って尺度が次々と変わり、振り回されることになるからです。
そのような変化の激しい時代だからこそ、外界に頼らざるをえない「自己肯定感」ではなく、「自己存在感」を持つことが、囚われずかつブレないあり方を実現させるのです。
引用終わり。
自己存在感を得ることが大切。
では、どうやって??
いつだってそこが肝心だ。
まず、自己存在感において、アダルトチルドレンはその基本が著しく低く初期設定されている。
これはなかなか上昇するものではない。
①まず、今の自分の「心の声」というものを尊重する。
それはイコール、今を生きる ということ。
自分の中にある感情に素直になる。大切にする。自分がどう思っているのか、常に意識を向ける
https://www.nippon.com/ja/features/c05003/
一瞬、一瞬変化する自分の感情に敏感になって、大切に心のフォルダにその感情を保存する。
以下、引用
「あるがまま」は「まるごと(全体)」
「生きもの」はメダカもトンボも、なんであろうが一つひとつが「まるごと」で存在している。「生きもの」のからだをみたらわかる。生きものは心臓、腎臓、肝臓、胃、小腸、大腸、・・などの部分だけで存在できない。それらの臓器や器官がつながって組織された「まるごと」であるときにはじめて「生きもの」として存在できる。生きものが「ある(在る)」ことは必ず「まるごと」でそこに「ある(在る)」。ゆえに「ある(在る)がまま」とは「まるごと」の「そのまま」であることだ。それが部分に分けられたら、もはや「生きもの」ではない。死んでいるものだ。従って「生きもの」である子ども一人ひとりの「あるがまま」を尊重するということは、「まるごと」を尊重するということに他ならない。
②自分が、満足だと思えるような部屋掃除をする
整理(片付け)をすると自己肯定感が爆上がりする。
ここで、掃除と片付けは根本的に違う。それぞれに効用がある。
整理整頓や片付けをしていくと、異様に性格が明るくなる、自己肯定感が強くなる、何かよくわからんけどハッピーになる、という謎現象が起こるわけなのですが、この仕組みについて。
詳しくはこちら。このサイトからの引用になります
https://note.com/honey_manya/n/n823dc0630faf
■「整理(片付け)」は「自己決定」の訓練になる
「掃除」と「片づけ(整理)」をいまだに混同している方も多いのですが、その二者は明確に違います。
これは「空間を美しくするためのステップ」を図にしたものです。
作業は、このピラミッドの下から順に進めないといけません。その順序で行くと、掃除や収納をする前には必ず「整理(片付け)」を行わないといけないということ。そして「整理(片付け)」は誰かに代わってもらうことができない作業です。
なぜかというと、何が不要か必要かという判断は、当人にしかできないから。
そして、この「要・不要」の判断をするのは、自己決定の練習になる。
自分の価値観と向き合い、自身を発見する。
この作業が自己決定感、自己有用感を爆アゲすることになる。
③トイレ掃除をする
汚いところを掃除するということは、何かと神経やプライドを使うことになる。
ただ、その変なプライドや神経が、自己重要感を遮る障害になっているかもしれない。
みんなが触らないような箇所の掃除をすることで、変に自分に対して気を遣わなくなる。
それは良い意味で。
ムトゥ踊るマハラジャの主人公みたいに、
自分も従者にすぎない、そして他の人も。っていう思考に自然と近づける。
卑下することもなく、ただ、自分の中にある心理的障害を破壊することが出来る。
「プライド」というものはただの心の防衛応答にすぎないが、
それがあるうちは、恋愛も人生もうまく行きづらいことが多い。
特に恋愛においてね。
結論としては
3つの要素を日々実行することが
ちょっとづつ自己重要感を高めることになる。
その3つの要素はお互いに、いい意味で自己肯定感の6つの「感」を充足させる。
そして、その「感」はそれぞれ絶対的なバランサーとしての役割を通して
それぞれの「感」の満足度を上げていく。
これはそのまま自分の中の肯定感を上げていくことになる。
…????
分かったけど、じゃあなんでそこまで自己肯定感を持ちたいの????
それは前のブログに書いてあります。
そして、自己肯定感だけが人生ではありません。
あくまで条件であり、前提にすぎない。
ただ、とても大切な要素。