ルーマニアの大思想家、わたくしエミールシオランにとって、これは私の生涯をかけた追求テーマでした。
そうなんだ。 いっつも大体楽しい僕でも、気分がふさいだり
生きてて辛いな…って思うことはあるよ
これって、シオランさんでも解決できたの??
いや、別に。解決は出来なかった。僕が生きている間は。
でも、君がこの時代で苦しんでいた時が一瞬でもあったのなら、まだ現代でも解決できてないってことだね。
人類史2000年の時を経ても常に人は悩み、苦悩と共にある。
今日は少しだけ、このテーマについて考えてみようか
悩みってぐちゃぐちゃ
何が正解が分からない
対人関係も、家族内も会社も学校も。
国も生活も
人が疲れることは往々にしてある。
それは悪いことでもない。
でも、その悩みって本当に解決すべきことなのだろうか????
辛いこともあるだろうけど、それは放置してはいけないのだろうか????
もしかしたら、小さい世界線でものごとを捉えて悩んでいるのかもしれない…
社会によっていつの間にか考えにバイアスがかかっているのかもしれない。
もっと世界は広いのに。
つまり、自分のベクトルで考えすぎて困っちゃうのかもしれない
実は隣に別の思考線があったかもしれないのに。
このブログでは様々な角度から、ハッピーな生活を送るヒントを示していきます。
それらは断片的なものかもしれない
でも断片的なものでもいずれ、論理的繋がりが明確になって、やおら形を成していきます。
だから、
ゆっくり待ってください。
ぼちぼち上げていくものの中で、何かが刺さる時が来ます。
今までの精神的負担を100とすると、10程度まで下げられるようになります。
世界がちょっと、楽しく見えます。
良いスパイラルが自分の中に出来上がってきます。
それは決して刹那的なものではなく、じっくりあなたを暖めて
良い人生を形作るものになります。
人生に辛い時、外を見渡すと楽しそうな人や幸せそうな人たちが嫌でも目に付く時がある。
むしろ、タイミングを計ったのでは??と疑うほどに。
さて、果たして、外界というものは期待できる代物なのだろうか…??
散々生きてきた、この世界…
果たしてこれは期待していいものなのだろうか。期待に値するものなのだろうか
楽しさが根本なのだろうか。
少なくとも、精神が疲れて参っている時、こんな世界、あんまりだ。
こんなくそったれな世界なんて…
みたいに思うこともあるだろう。
そう。そんな世界なのかもしれない。
人が勝手に、そう。勝手に期待をかけているだけかもしれない。
「人間」というものは、明日を期待しないと生きられないのか…??
意外と、明日なんて考えなくても生き残ることが出来る、化け物である。
期待とは、優しさであり、欺瞞でもある。
究極的に言えば、期待するってことは自分本位に動いて欲しい、そうなってほしいという願望の表れであり、自己中心的なエゴにすぎない。
それは他人や友達、同期同僚、上司先輩、家族、身近な人間関係のみにあらず、
この「くそみたいな?」世界に対しても同様に働く。
つまり、世界は世界でしかないのだ。
他の何でもない。無属性。カラーを勝手に付けてるのは自分自身。
世界は何でもない無地のキャンパスに過ぎない。だけど別に色なんて塗らなくてもいいキャンパス。
だけども、人間は少なくとも、過去2000年以上の歴史において、各々が色を塗ってきた。
期待によって掛けられた色は本来の着色ではなく、
年月とともに色褪せ、一部は変色し黒ずむ。
滑稽ではあるが、それも仕方ない。その多少、色のようなものが付いた「世界」は勿論、崩れ去る。
それを芸術と称して眺める人たちもいる。
文化になり、歴史になり、時代を紡ぐ。
人類史、人間の歩んできた道筋と言うのは、もしかしたら、この永遠に終わらない色塗り作業なのかもしれない。そして、期待というものは本来の顔料ではないのだから永遠に綺麗に発色しない。ジレンマが精神を歪め、泣き、笑い、争い、殺しあう。いつまで経っても塗れないのだから。
多少、色っぽいのがついてマシになることはあるが。
じゃあ自分がやってきたことは?今までみんながやってきたことは?全部虚構なの??
虚構ではない。だが意味のあることでもない。
路上に顔を出している雑草を見てみてほしい。人間がより良い地球、社会を作ろうと期待して色を塗ってきたが、その植物はなにか恩恵はあるのか?地球規模で考えてみよう。
人間が「快適」な生活をすることで、地球はなにか良いことがあったのか??
特にない。
それがよくわかる映画があるとしたら「美しき緑の星」という映画なのかもしれない。
さて、自分が疲れるということは、何処かで自己肯定感が満たされてない事でもある。
自己が確立してないほど、自己肯定感が弱く、何かに頼りがちになる。
何かに頼るということは、何かに「見返り」を「期待」してしまっている部分がある。
★★自己肯定感を健康に保つには★★
まず、自己肯定感と言うものをそのまま言葉として捉えると失敗する。
つかみどころのない言葉だからだ。
自己肯定感を細分化するとたった6つに分けられるとされている。
(これは学術的に決まっているようだ)
6つの感。
①自尊感情 :自分には価値がある。
自分を大切にできる感情。どっしりと深く育てる
②自己受容感 :ありのままの自分を認める
自分を含め、人間は不完全なんだ。だれと会っても大丈夫。折れない心と強い回復力
③自己効力感 :自分にはできる
自分には何かを達成できる力がある
④自己信頼感 :自分を信じられる
自分の中に未来への可能性を見出しそれを信じて進んでいける
⑤自己決定感 :自分で決定できる
自分の意思で物事を決めていく。それが人生の幸福度を決めていく
⑥自己有用感 :自分は何かの役に立っている
周囲や社会との繋がりの中で、役割を果たし、感じる満足感。
自己肯定感は以上、6つの感で構成される。
それぞれをバランスよく満たす必要がある。
これが、自己肯定感というものの繊細さであり、だが、だからこそこの自己肯定感は
人生に威力を発揮する。強力なものになる。
この6つに沿った、生命哲学的思考が大切なのかもしれない。
これをカスタマイズして確固たるゆるぎないものにする。
これに関しては後にリンクを張るかもしれない…
🔥そして、自己肯定感を高めることで、「依存」から脱却することが出来るようになってくる。
それは、幸せになる、楽しくなる、という人生にとってかつて指標としていた
「外界」への依存
から脱却していくことになる。
ここで初めて、自分で切り開いた価値基準で、他者と比較せず
幸せに過ごせるようになってくる。
そこから先が仙人術と呼ばれる状況へのスタート地点になる。