たまに来る神のnonドーパミン期間

ほんのたまに、数年を通して数回あるかないかの、ドーパミンを追い求めない瞬間が起こる。

その時は本当にyoutubeもそこまで深追いしようと思わないし、小枝とかのチョコレート系お菓子も購入していても手を出そうと思わない。

その時は勿論、蓄精なんてものにも興味が向かない、むしろそのようなことを考えてすらいない。

子供のようになる。そして食事に関しても

ドーパミンを求めない

それは小麦の添加物もりもりの菓子パン類やポテチとかジャンク系もそこまで欲しいと思わなくなる

その時、人生の生きる瞬間に生活の余裕が生まれる。

その余裕が人の「魅力的な」生活の余韻を生み出す。それは有効活用すると、学習や仕事の活発さにも繋がる。

そして自分を外的に評価することが出来るようになる。

例えば、今回の記事内容をここまで追ってみると、常用漢字の低レベルまでしか使っていないことが分かる。全体的に文章が稚拙。難しい漢字も教養も入っていない。

まぁそんなことはどうでもいいでしょう。

課題に追われるとこのような状況は自然と終わりを迎える。

十分な睡眠がこの状況を作ったのか…??

それとも夜の電話を辞めれたからか…??

とにかくフラットな状況で眠りにつけるとこうなるのだろうか…??

いや、何にも依存せず、否。依存することから離れたらこうなるのだろうか。

蓄精の為の食事にも依存せず、運動も何もせず。何も枷をつけないからか??

それとも夜中に快活クラブでナルトを楽しく読めていたからか??

…分かりません。

ただ、この余韻を活かして昔からやりたかった様々な事を実行したいね。

それは、義務教育の内容をジャンプ系コミックスの解説を踏まえて偏差値70まで

実生活で使えるように習熟すること。…………………かな。

それは別のHPで紹介していく。

このブログと並行していくことになる。

別に対して負担ではない。というか、自分への抵抗をなるべく減らすような努力も出来るようになると言いね。

人生とは、人によってやることが変わってくるけど、

自分の傾向を見ていると、laughing placeに向かって捜し歩いているブレアラビット的なモノでしょう。ここがそのポイントではないことに対して首をかしげるのは良いが、

他と違うのは、圧倒的にその場所を否定してしまうことでしょう。

それは変えた方が良いかもしれないね。

なぜならそれは仙人術的な思想からずれてしまうことだから。

そしてlaughing placeに行く道の途中が人生の大半なのに、そのようなスタンスで居ると

自分の人生のほぼ全てを否定して歩いていくようなもの。

全ての途上で愚痴ってくみたいなもん。

それは御免だね。

取り敢えず、またあとで。加筆と大幅な修正はまたしていきます。